一年目の大手術とちょっと変身の日々(前篇)
05/24-06/02/2001

05/24(木)2001 曇/小雨
こないだから始動間もなくのアイドリングが不安定だったりするので発作的にキャブレターを掃除することにした。暇があるのなら部屋の掃除でもすればよさそうなものだが−なんたってもう相当長いことまともに掃除なんかしていない−MINI購以入来暇があればボンネットを開いたり走りに行ったりしてしまうのだ。外はさっきまで小雨が降っていたところであるが、例によって今日やらねばいつになるか分からないのである。
MINIは只今故障中!」を参考にキャブレターを慎重に分解する。作業自体はとても簡単であった。

キャブレターバラバラ

どこもそんなに汚れているようには見えないが、とにかくキャブクリーナーを吹き付ける。きれいに拭いて乾燥させて組み立てる。ダンパー専用オイルなんてのはどこを探しても売っていなかったのでエンジンオイルで代用した。
掃除した結果がどうだったかというと咳き込み気味だったアイドリングは見事に安定。 やっぱり一見汚れてなくても掃除してみるものですな。

05/25(金)2001 曇/晴
夕方少し時間があったので、またまたラジエター水漏れの処置を試みる。首の部分のパイプ付け根からの漏れはいつの間にか再発しているのだ。以前試みた液体ガスケットによる処置下手くそなハンダ付けによる処置は焼け石に水だったようだ。
ということで今度は金属パテで隙間を埋めてみることにする。どうせまた失敗に終わる気がするし、いっそラジエター替えてしまうかとも思うのだけど、それでもまあやってみよう。 パイプの回りを紙ヤスリで掃除し、パテを塗り込む。とても狭くてやりにくい。この狭さが失敗の最大の要因だな。とにかくまあ隙間が出来ないように塗りたくる。さあ結果はどうかな。

金属パテを塗る

05/27(日)2001 晴
今日は気が付くと我がMINIがやって来てちょうど一年である。その所為でもあるまいが朝早く目が覚める。距離計は18,548km。一年で12,308kmを走った。
9時に家を出てかたつむりへ向かう。一周年でもあるし夏には東京に引っ越すことになるのだろうからこの際エンジンを見てもらおうと思ったのだ。そうそれにMini Jackで得た20万円を我がMINIに返してやらねばならない。
親父さんと相談の上、ヘッドガスケットを交換、ラジエターもコア増しに交換、そしてマフラーも効率がよいものに交換することにした。10年の歳月はマフラーを相当詰まらせている筈だというのだ。出来るだけノーマルを保ちたい我がMINIであるが、長生きさせるためには変えるべきところは変えようと思う。 ノーマルマフラーの細いパイプはなかなか気に入っていたのだが。
例によって常連客の若い人がエンジンをバラしに掛かってくれる。補機類が多いのでなかなかたいへんそうだ。せめて懐中電灯を持ってサポートする。
ロッカーカバーが固着して取れない。ハンマーで叩いてようやく取れた。さあ何でくっついていたのかが問題なのだ。ボンド(液体ガスケットのようなものか?)で接着されていたのである。「これじゃ空気が入らん」と親父さん。その場でロッカーカバーの廃棄が決定。アルミ製に交換することになる。

ガレージに収まる


ラジエターを下ろしてロアホースを掃除する。ホースの接続部分に全てボンドが付けられている。こうしたホース類は熱である程度伸び縮みしなければならないのでボンドは禁物なのだそうである。ボンドのカスは冷却系の中にも回っていたに違いない。ブラシと水でテッテ的に洗い、新しいコア増しラジエターに組み付ける。
ロッカーアームが外されプッシュロッドが抜かれて、いよいよシリンダーヘッドが下ろされる。
親父さんはとても呆れていた。何しろヘッドガスケットもボンドを用いて接着されたらしいのだ。バルブスプリングにもボンドが付着している。
我がMINIのエンジンはボンドまみれだったのである。こんなにボンドが付いていては動きも相当悪かったはずだという。よいエンジンオイルを入れていたので助かったという面もあるらしい。

エンジンルーム空っぽ 分解された内臓


そして本日のメインイベントである。ヘッドの面を出すために砥石を使って面研である。木の台に置いたヘッドに向かってしゃがみ、砥石を両手でしっかり支えてひたすら前後に動かして磨く。自分でやれというのである。三千往復は磨けと言う。
これはとっても辛い作業だ。握力は落ちてくるしつま先立ちでしゃがんでいるので特にふくらはぎあたりが辛い。「やればやるほどよくなる」などと言われては手は抜けない。
休み休みでたっぷり一時間は磨いたであろうか。時々パーツクリーナーやエンジンコンディショナーを吹き付け、砥石を水で洗ったりしながら磨いていくとヘッド表面の黒ずみが徐々に落ちていきだんだん滑らかになっていくのが判る。マグロの刺身状に旋盤の跡も見えてきた。
ヘッドガスケットの面が終わったら今度はマニホールドの側。カッターの刃でガスケットのカスや汚れを削り取る。エアガンで吹くと、中から大量の汚れが噴き出す。汚れの多さはこれまでエンジンに掛かっていたストレスを表す。 エンジン内の汚れがかなり燃料を吸い取っていたはずなのである。
私がヘッドと格闘している間に常連客の若い人はピストンのカーボンを取り、ついでだからとステディロッドブッシュを交換してくれた。
ようやくエンジンの組み立てに入る。どんどん暗くなってきたので私は引き続き照明係だ。
補機類の多さは作業に時間を費やさせる。時刻は夜8時を回ったので今日はここまでということになる。エンジンはほぼ組み上がり、あとはロッカーカバーを乗せるばかりである。そういやプラグも交換したぞ6番から5番に。
明日マフラーを交換して調整しておくというので夜取りに来ることにする。今日はなんと10時間もかたつむりに居たのだ。

05/28(月)2001 晴
朝起きると筋肉痛は思ったほどではなかった。上腕部辺りがだるいけれども。
夕方、仕事を早めに切り上げ代車アルトでかたつむりに向かう。
軽い洗車で黄砂を洗い流されて我がMINIは待っていた。触媒を残してマフラーはRC40に交換。ロッカーカバーはアルミ製のフィン付き。ついでにエアフィルターも交換したそうだ。エンジンオイルはいつものWAKO'S 4CR。その他にはスキルEフュエル1を使用。
エンジンを掛けるとこれまでより低音が効いた、一際太い音が響く。1速に入れ、いつもの調子で踏みながらクラッチを繋ぐと急発進してしまう。全体にトルクがアップしている。「えらい気合い入れて踏むなと思った」と親父さん。「最初はみんなああなるんだよな」と見ていた常連客は言ったという。
本当は触媒も替えるともっと効率がよくなるけれど替えると十数万は掛かるので今回は取り敢えずそのままにしたそうだ。部品代工賃占めて\171,000-
1,000kmくらい走ったらもう一度オイルを替えてタペット調整の必要があるというので再訪を約して去る。3速で60〜70km/hまで引っ張れと教わって。回転を上げるとオイルポンプの回転も上がるからだそうなのだ。かたつむり出発時の距離計は18,604km
帰り道はとても快適。目的速度に早く達することが出来るのでストレスが少ない。3速でのエンジンブレーキも利きすぎな感じが減ったようだ。アクセルON/OFFでのショックが減ったのはステディロッドブッシュ交換の恩恵だろう(これまではウレタン製強化ブッシュ。今回は純正ラバー製強化ブッシュ)。コア増しラジエターのお陰で電動ファンの出番も減った。

マフラーピカピカ エンジンルームもピカピカ

05/29(火)2001 晴
朝いちばんでラジエターの水量チェック。冷却水入れ替えてるからね。案の定空気が抜けて減っている。買い置きのLLCを足す。
出勤前に給油。燃料計の針は赤線を指している。給油量は24.3l。エンジン内の汚れも取れて効率も上がっているので燃費も向上されるはず。次回の給油が楽しみだ。

05/31(木)2001 曇/晴
以来運転が以前に増して楽しいので三日で300km近く走ってしまった。昨夜は大雨にも関わらず島根半島方面を走り回ったし(真っ暗なくねくね道でとても怖い)、今日は出雲市に行く用があったので農道を100km/hで突っ走った。
という訳で燃料計が半量を指したので夕方給油。燃費は15.66km/l(「MINI燃費」参照)。確かによくなっている!。

06/02(土)2001 晴
調子に乗って一日100kmを目標に走り回っているのだ。大体は達成できないのだが少しでも早くかたつむりに持って行きたいのである。
18:30に松江を出発し山道を木次へ。54号線を北上して宍道湖岸に出、斐川町を縦断して平田市へ。走ることだけが目的のドライブである。
一畑薬師からは山の中を抜ける道で松江へ向かう。細く曲がりくねり上っては下る暗い道を80〜100km/hで疾走する。スポーツ気分で走るにはちょうどよいコースだけれどもそれにしても凄い虫の量だ。フロントグラスに向かって雨が降るように大量の羽虫がぶつかってくる。どうやらユスリカらしい。夏になるとユスリカが大量発生することがときどきある。
視界はどんどん悪くなるがワイパーを使うとつぶれた虫の体液でとんでもないことになるのを私は知っている。車体前面に大量の死骸を付着させて帰宅したのである。帰宅時距離計19,082km

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