そもそも犬のジョンは彼の国の生まれである。大英帝国はイングランドのロンドンのハマースミスのクイーンシャーロットホスピタルなる病院で産声を上げたのである。以来22年間、犬のジョンは日英の二重国籍者であった。英国籍を放棄し、日本国籍のみとなるには法務局での苛立ちの日々があるのだがそれはまた別の話。
そんな訳で生後まもなく両親の国である日本に移り住んだ犬のジョンは、自らのルーツはどこなのかという疑問を常に抱えることになる。これは日本での暮らしが引越続きだったこととも大いに関係があるのだが。
犬のジョンはやがて、英国での記憶が皆無であり英語も殆ど話せないにも関わらず「植民地の英国人」的な状態に近づくようになった。植民地時代の香港に住む英国人は本国に住む以上に英国的になるという。自らの国へのアイデンティティにより自覚的になるということだ。スーツは紺とグレーしか着ないという話もあった。そもそもあんなに湿度の高い地でスーツを着ているのはたいへんなことだと思うが、それはまた別の話。
犬のジョンの生活には毎朝の紅茶が欠かせない。もちろん濃いミルクティーだ。これは犬のジョンが両親から受け継いだ習慣でもあるのだが。
犬のジョンが買い物をするときに、同じ様な商品で、日本製とイギリス製とアメリカ製が並んでいたら、迷わずイギリス製を買うのである。そんな訳で犬のジョンの押入にはイギリス製の(実のところはアイルランド製であることが多い)Tシャツが沢山入っているのだった(Tシャツ以外ももちろん欲しいところだが、Tシャツは安いのである)。
そのような犬のジョンが、英国が誇る世界的ヒット商品であるMINIという小さな自動車を手に入れたいと思う様になるのはMr.Beanの登場を待つまでもなく極めて自然な流れであった。そもそも犬のジョンは小さな自動車が好きであったし、最近の日本の自動車はピカピカでないと格好が悪いというのが以前から気に入らなかったのである。
彼の国に行くと埃を被り、適度に草臥れた自動車が沢山道端に止まっている。 その様子がなんとも雰囲気があってよいのである。
犬のジョンが最初に手にした自動車は1992年三菱製のミラージュRというAT車であった。
これはなかなか飛んでもなくも素晴らしい自動車であった。1,500ccの排気量でありながらとてもスピードが出るしハンドリングにダイレクトに反応してくれる。
この自動車に乗っている間、洗車は一度もしたことがなかったし、こすって傷が付いてもちっとも気にしなかったけれど、とてもよく働いてくれた。
しかし80,000kmも走っていると、8年も経つ車だけにボディがきしむようになってきた。
ということでそろそろ買い替え時か。 犬のジョンは迷わず新しい自動車をMINIにすることを決心するのである。それももちろん中古のMT車だ。適当に古く、適当に新しいものが欲しかった。当然ミラージュ号よりはスピード出ないはずだけど、MINIに乗れるなら速く走れなくてもよいと思った。
「MINI freak」誌や「MINI magazine」誌、そしてあまたのMINI愛好家のWebによる研究の後、MINI専門店の沢山ある関西へ犬のジョンが向かったのは2000年5月4日のことであった。
このとき犬のジョンは取り敢えず見に行こう程度の心構えでしかなかった。しかしこの日早々に購入を決めてしまう大きな出会いがあったのである。
5月4日早朝大阪に到着した犬のジョンは、ストアタイムまで仮眠を取った後、雑誌広告を頼りに何軒かのMINI専門店を回る。しかし時悪しく所謂ゴールデンウィーク。何れも休みなのであった。
さあどうするかと犬のジョンが思ったとき、犬のジョンが居たのは高速道路の入口の近くであった。 ここで犬のジョンは京都まで行ってしまうことを決心するのである。
連休の大渋滞に乗って、犬のジョンが京都に辿り着いた頃には既に日が傾きつつあった。向かったのは高速道路の入口から最も近いMINI専門店である。
到着すると運良く開店していた。 ガラス張りの室内に何台ものMINIが並び、上品な感じの店だ。ここで出会ったのが現在犬のジョンが乗っている1991年式MINI
1000 SPRITE MTであった。
そいつを見たとき犬のジョンは我が目を疑った。なぜならフロントガラスに立てられた値札には「89年式完全ノーマル、走行距離6,240km」と書かれていたからである。しかもその朝店頭に置かれたばかりだという。
名古屋の愛好家が初期状態を保つことだけを念頭に、大事に持っていたものらしい。だから完全ノーマル。6,240kmという数字は機関の健康のために走っていたがためのものだ。
その後色々話を聞いているうちに実は89年式ではなく、1991年、キャブレター最後のモデルであることが判明。
当時最も廉価なモデルということで、乗ってみると見事に何もない。それでもエアコンは付いているのだが、ラジオのあるべき場所は空っぽ(その後アンテナだけは付いていることが判明。馬鹿馬鹿しくてよろしい)。そして最もばかばかしいことに助手席前の物入れはどうやっても開かない。何故なら外形があるだけで開くようには出来ていないのだ。想像するにもう一つ高いモデルと同じ金型を使って作ったからだろう(その後その中にはエアコンのユニットが入っているらしいことが判明。開かないことに違いはないが)。いや実に楽しい。
何れにせよ犬のジョンは、立ち並ぶMINIの中でそいつに何か強く心を惹かれていた。適度に古く適度に新しい。何も問題はないけどなんとなく矢張り9年分は歳取っている。
そして完全ノーマル、何の変哲もない。ボディは地味な紺でバンパーは黒だし、フロントグリルもメッキじゃない。ボディには「Sprite」のシールまで付いたままだ。
何故だか強く惹かれるのはその個体が持つストーリーか?。これはイギリスの労働者が最初の夢として手に入れたような車だ。
心は激しく揺れ動いたが、たとえどんなに迷ったとしてもこんな気に入り方をしたときの結論は最初から判っている。
それでも三、四時間はその店にいたけれど、犬のジョンは「買います」と言ったのだった。店の人にすれば朝出した車がその日のうちに売れてしまった訳で、嬉しいやら悲しいやら。
犬のジョンがMINIと再会を約して店を去ったとき、既に日は暮れなんとしていた。
以上、思わぬ出会いによりあっという間にMINIオーナーへの道に進んだ犬のジョンなのでありました。
客観的に見ると矢張り変わり者だね。20世紀も終わろうという今、40年前の設計の自動車を買う。ATからMTへ、そして排気量の小さい車に乗り換えるなんて。
でもこれからの日々はきっと楽しいはずだ。